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その1  春節 ・天津小記 

2000年2月5日は中国の旧正月(春節)。
私は2月5日〜12日天津へ行った。
東京に帰ってきたら、上海の知人のK氏に帰りを告げた。

1.天津人の洋服

K氏は新聞で読んだ事を教えてくれた。
「天津人は今年の春節に誰も洋服を新調しなかったらしいね。
お金がないんじゃなく、普段から良い洋服を着てるから、
新調する必要がなくなったんだ。」
私は3歳に東京から天津に渡った。
天津で過ごす17年間、毎年春節に新しい洋服に着替えるのを思い出す。

2.国際旅行社の車

2月5日、UA853で夜北京着。
事前頼んだ車で、空港から天津の父母宅まで2時間、夜10:30に着いた。
春節と言う事も有って、料金は1,000元(約12,500円)であった。
こんなもんかと思った。
夜は父親の書斎に泊った。

3.誕生祝

2月6日は私の50歳の誕生日。
父母、姉夫婦と甥、弟夫婦と姪、私。
豪華な個室、9人でカラオケ付きのパーティ。
場所は大レストランビル「鵬天閣」。(写真参照)
広東や北京、上海で流行っている、自分で素材を選ぶ方式。
蟹、桂魚などの海鮮料理を頼んでも、結果700元余。
1人80元ぐらいだ。
ワインと現地産日本酒は持ち込みであったとはいえ、安い。
しかも、個室にはウェートレスが付きっきり。
あれだけ大きい建物、連日満杯で予約無しでは来れないと言う。
天津の物価水準と生活水準の片鱗を覗える。

4.同窓会

私の中学校は歴史のある天津第十八中学(当時は男子校)。
現在名は設立当初の「匯文中学」に戻している。
文革時最も活躍した中学校の1つ。
クラスメートは全員50歳(当たり前か)。
40数名のうち、19名集まり、先生2名(いずれも定年)、計21名。
中に32年ぶりの人もいた。
全員挨拶兼近況報告。
皆スピーチが上手くなった。
しかし、金持ちになった人は1人もいない。
先生が曰く、「お前らの代は皆保守的なんだ。」
パーティの場所は津利華飯店、4星級。
バーでの2次会を含めて計2,600元余、1人約120元(1500円ぐらい)。
金持ちではないが、全額私が払った。
日本の大手企業勤務であれば、いい格好が出来るって訳だ。

5.スーパー

天津大学の近く。
日本にも進出したフランスの巨大倉庫型スーパーマーケット。
春節前の数日間は人込みでごった返しと言う。
入り口近くのスペースを全部レジで埋める。
それでもすべてのレジの前は長蛇の列。
品物はすぐ手に取れるのが良いが、レジで数十倍の時間が費される。
やはり中国も景気が少し良くなったろうか。

6.インターネット

友人の家で30歳台の社長の藤氏に会った。
会社名は「奥立」、英語では ONLY と言う。
天津大学卒。
「天大天財」と言う人気上場会社の創設者の1人兼初代社長。
自分の会社を作る為それを辞任。
現会社はシステム構築などの業務を。
天津ヤマハなどの外資系企業も客。
「中国のWTO加盟後、中国進出を希望する海外企業が増える。
中国企業情報を提供するサイトを作り、海外上場を考えている。
海外のベンチャー投資会社と接触したい。」
やはり若い人のほうが「保守的」ではないのだ。

7.甥

姉の息子は天津大学精密機械専攻の2年生。
趣味は囲碁。
姉は高校の先生、責任感が強く、ストレートに物を言うタイプ。
時には人と喧嘩にもなったりする。
姉婿は天津大学の先生、学問に強いが、無口なタイプ。
たまに出てくる言葉も場に合っていない事がある。
私の中学校のクラスメートの家に囲碁の為に甥を連れていった。
夕食をご馳走になる。
明るくて、話し方が上品で、体裁が良いと、甥は皆に誉められる。
私も感心した。
親子とはこうも違うものか。
甥を見て、中国の次世代はわれわれよりできる、と思った。

8.天津のタクシー

2月11日、天津ダイハツのシャレードに乗って北京に向かった。
12日のUA852は午前発なので、北京で1泊することにしていた。
父母宅から北京の3環路まで(地方の車は市内には入れない)だった。
金額は240元。
どう考えても、天津の物価は安い。(了)

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