中国ビジネス狂走曲

三木 信

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第四回 君子豹変す (97/3)
“表敬訪問?おとといおいで”


 いわゆる“表敬訪問”という訪問スタイルがハバを利かせていた時期が、かつてはあった。もちろん例によって日中のビジネス上の行き来のハナシである。私がいま敢えて“かつてはあった”と言ったのは“いまはなくなった”又は、“いまは(かりにあったとしても)その意義を失いつつある”ということを言いたいからに他ならない。

 “表敬訪問”とは、アンブローズ・ビアスの“悪魔の辞典”ふうに定義するならぱ『比較的地位の高い人物がある種の下心を待ちつつも、そのそぶりを見せずに、しかもいかにもあなたに敬意を抱いておりますという態度で他方の地位の高い人物を訪れ、柔らかいソファにお互いにゆったり腰を下ろしたあと、訪問者側が迎えてくれた側の気分を良くするような話題でハナシを切り出し、互いに相手のことをさりげなく賞讃してうなずき合い、又、歴史や詩文に触れるなどしながら時間を過ごす訪問形武のことであり、この形式で訪問を行う場合は、双方ともにナマナマしくかつギラギラした話題をもちだしてはならないという不文律がある、とは言っても全くつゆほどもその下心を相手に感じさせない訪問者は愚とされ、又、被訪問者が全く何も感じないとしたらその人物は鈍(どん)とされるような非常にややこしい側面を有する訪問形武でもあり東洋の世界に多く見られる』という具合になるだろうか。

 しかし、この“表敬訪問”が、しかも中国ビジネスに於いて不可欠な通過儀礼の内でも最も重要だと誰もが信じて疑わなかったこの挨拶形式が、いまや官民を問わず、他ならぬ中国の幹部たちに否定されつつある(ような気がする)。というのは、日本の某大会社の社長が中国の某大公司や某大政府機関の幹部に挨拶廻りをしようと計画して実行責任者がアポイントを申し込んだところ、“具体要談什麼?(具体的に何の件についてでしょう)”と問い返され、“何の件ということではなく、日頃からお世話になっておりますから××先生に社長が御挨拶をしたいと。久しぶりですし…”という趣旨(?)で重ねて申し人れを行ったところ、やはり“具体的に話し合いたい内容がなければお断りいたします。中国はいま忙しいですから”という返事しか返って来ず、しかもそれが申し入れた先々からハンを押した様に同じ返事だったということを聞いたからである。

 この某社社長のエピソードは昨年のことだが、今年になって一切ならずこれに類した話を聞くに及んで、いよいよ私は日中のビジネスシーンに於いて“表敬訪問”はなくなりつつあるか否定されつつあるのではないかという仮説に自信を深めたというわけだ(もちろん言葉の本来の意味での“表敬訪問”はあるにせよ)。

 “××社のOO社長(専務であれ常務であれ部長であれナンであれ)が△△先生に御挨拶に見面(jian mian)したいということですが”と言えば比較的簡単に会見が成立していた時代は既に過ぎ去り、いまや結構なことに(ホントに結構なことだと思う)“具体要什麼?(具体的に何の話なのか?)”の時代に突入したのである。ご紹介した某社社長の挨拶を断った某公司の責任者が言ったと聞いた言葉を措りれば、いまは“中国熱(zhong guo re)”(中国はアツイ=中国はいま忙しいんだ)なのである。
 君子豹変とはまさにこのことだろうか。(了)


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